「あいつ、元気かな」
約束まであと1時間弱という、何もしないには長いけど何かするには短い時間。暇つぶしに入ってみた、大きくはないけど居心地の良さそうな本屋で。とある本を見て、ふと言葉が口をついた。
故郷の島を離れ、子ども時代を過ごした街の名前も聞かなくなって久しい。思いだした“あいつ”のことも、もう何年も忘れていたくらいだ。でも、あいつが何をしているか、分かる。知らないけど、絶対に合っているという自信があった。
あいつは変な奴だった。最初に会った頃――記憶はないが――からしばらくはそう変じゃなかった気がするのに、ある時から変わった。何があったのか、それもよくは知らないが、あいつはある時期からずっと、いつでも本を持っていた。一冊の本を。
それは子どもには難しいけど、大人に、それも専門家には易しすぎる、ある職業の基本的な本だった、らしい。自分は本に興味が無かったし、大人が言っているのをきいただけだから、本当かどうかは知らないけど。本人も反論していた記憶は無いし、多分正しかったんだと思う。記憶にあるあいつは、いつもその本を持っていた。
あいつは大人になったらその本を書くんだと言っていた。他の本を書いたら読ませてと言ったら、この本しか書く気が無いとも言っていた。よく分からないこだわりがあるんだなと思った。まぁ、自分だって、この島を絶対出ると頑なに言い続ける変な奴だったので、そういうやつもいるだろうと思っていた。
他の子どもたちもいろんな夢を持っていたし、話を聞いたが、叶えそうなのはあいつと自分くらいかなと思っていた。他の子たちが大人や物語に影響を受ける中、変わらなかったのは自分たちだけだったからだ。自分は島を出るまで変わらなかったし、あいつも最後に見た時も変わっていなかったし、これは絶対叶えるだろうと。もしかしたら、自分の方が遅くて、あいつはもう書いていたのかもしれないと、今となっては思う。
あいつが夢を捨てるわけはないし、叶えただろう。だから何をやっているか分かる。あいつ自身は特に仲が良かったわけでもないし、好きでも嫌いでもないただの知り合いだけど。自分がこうやって島の外を見ているくらいだ。あいつも絶対書いている。そうに違いない。
手元にあるこの懐かしい本。彼が持っていたのと同じ、記憶の本よりは新しい――ふと思い立ち、裏表紙をめくってみた。
おっと、約束の場所に向かわなければ。まだ早いが、今から向かえばそう待たないだろう。
島を出て世界を巡ったその足を、今日はいつもより軽く感じた。
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