店主が眠りにつき暗くなった部屋で彼女はペンを持ちカレンダーに向かって飛翔する。
翌朝、彼女の1日が始まる。パンをオーブントースターに、お湯を作り紅茶を作る。店主はストレートは苦手で猫舌なものだから冷やしたミルクを加える。彼女はこのミルクの味が理解出来ない。
寝室に音もなく入る。店主の寝顔は見ていてもとくに面白いわけではない。それが今日は違った。涙を流しているようだ。悪夢でも見ているのか。
心配になって「おきて」と優しく呼びかける。この時だけ店主は彼女の声に反応する。仲間には秘密にしている。
目覚めた店主は少しだけ笑っていた、と思う。
毎朝彼女が起こさないと店主は起きて来ない。店主は自力で起きているとでも思っているようだ。1度放置してみたときは昼になっても寝室から出て来なかったものだ。
店主はカレンダーの変化に気づいたようだ。それは彼女がその時の気分で書いたもので今後も書いていくはわからない。
気が早くないか、と店主は笑う。
「2週間切っているんだよ。早くなんかないよ」
彼女の言葉は届かない。
店主が工房の専用の机に向かうまで付き添い、彼女は店主からの指示を待った。会計を見るとこの1ヶ月利益が伸び悩みこの一週間は赤字続きだった。
「ブラッディウム武具はそろそろ売れるんじゃないかな」
予定表にはブラッディウム武具の指示があった。店主も同じことを考えていたようだ。思わず彼女は笑う。彼女はブラッディウムソードを任せられていた。剣を作るのを彼女は好きだった。よく剣を任せられるから店主は分かってくれているのだろうと勝手に思っている。そして、もう一つの指示があった。
彼女は作業の合間、店主のいる店頭へ向かった。そこには道を静かに眺める店主がいた。以前は真面目に他の業者と商談をしていたというのに彼女は心配になる。ある子供が彼女に手を振ってきた。彼女は笑って振り返す。
店頭の仲間が言う。
「どうして店主は私達のことが見えないのかな」
「盲目というか私達がいる周波数が見えないみたいだね。私も色々試したよ」
「開業したときからいるあなたが言うなら無理かなあ」
仲間は寂しそうだった。
最初の作業終え、次の作業に入る気が進まない。彼女は店主の姿を探す。廊下の窓から廃棄の剣の山の向こう、丘の木に背中を預けて座っている店主を見つける。彼女は急いでホットドッグを作ってそこへ向かう。
ノートを眺めていた店主は唐突にそれを地面に投げて横になる。大事なノートだ。それを丁寧に拾い上げてホットドッグと一緒に隣に置いた。ホットドッグは店主の好物であることを彼女は知っている。店主はありがとうと笑う。よく笑う人だ。
今日で最後にするよ、と店主は言う。
「本当に?」
店主は笑う。
彼女は意を決して部屋へ向かってて羽ばたいた。
失敗した。結果は分かっていた。これも成功するための大事な失敗だ。悔しそうにしている店主を周りの仲間が心配そうに見ていた。報告を終えた彼女は剣を拾い上げて工房の裏庭に向かう。彼女は店主を一人目にしたかった。
廃棄の山にその剣を丁寧に置く。仲間達が成功のために努力して失敗したものだ。無下には扱えない。気付けば山になっていた。店主は今日で最後にすると言った。成功させたくはないのか。しばらくすると仲間が飛んできた。店主が皆を呼んでいるらしい。
店主は工房に見えない仲間達にその方法を伝えた。成功するかもしれないという喜びに跳ね上がった仲間はインゴットに頭をぶつけていた。皆、そろってやる気に満ち溢れている。作業が始まる。
彼女は祈るように叩いていた。自身の技術力がいかに高いと言ってもまだ一度も成功したことのがない剣だ。緊張する。今日で最後にするのだからこれが最後の機会になるだろう。他の誰でもなく彼女自身が成功させたかった。失敗した剣がどんどん生まれていく。
彼女の目の前にある剣は紛れもなく本物の剣に違いない。部屋全体を照らしている。失敗した剣を部屋の外に置いて立ち入り禁止の張り紙を外し彼女は店主が来るのを待つ。他の誰でもなく最初に店主に見せたかった。
店主が入ってくる。
「遅い」
店主は泣き面で笑っている。喜んでくれている。その情けない顔に免じて彼女は許した。
「簡単だったね」と店主の頭をなでる。
「はは、ええ、簡単でしたね」
彼女は声を届けたい。
コメント
コメントにはログインが必要です