・¨・.¸¸・゚¨゚・:..・*・:≡((生物図鑑)ε:)
この間のことです。ふと会議場を開いてみるとですね、なななくさがゆのドット絵を募集しているというではありませんか。
……なななんと!(なななくさがゆだけに)(ここで戻るボタンが押される)
・¨・.¸¸・゚¨゚・:..・*・:≡((生物図鑑)ε:)
これでも(「これ」はアイコンを指す)ドット絵はある程度嗜んでいますので、これはもうチャンスだと。なんとしても優待券獲ってやるぞと。そう意気込んでAzPainterを開いたわけですよ。
難題でした。
何が難題って、まず何を描くのか?からセンスが問われる。リンゴを描くのとはわけが違う、そもそも「それが何なのか」というところから考える必要があったのですね。
・¨・.¸¸・゚¨゚・:..・*・:≡((生物図鑑)ε:)
こういうのは普通、作者が考えてそれを(アバウトかもしれないけれど)絵描きに伝えて実現されるもんだと思うんです。しかし与えられた情報は「からだにやさしいおかゆ」であることと材料のみ。その材料ももうなんか奇特極まりない。そこから何を描けばいいのか自分で考える、これはもう一種の世界創造ですよ(は?)
・¨・.¸¸・゚¨゚・:..・*・:≡((生物図鑑)ε:)
じゃあもう、好きにやってやりましょう。七色のおかゆを描く人もいればエリ草の瓶を使う人もいる、そんな中、誰でも思いつくようなことを誰もやっていなかった。
そう、
七草全てをひとつのドット絵にぶち込んでやる
という試み。
しかしキャンバスサイズは16×16。合計256ピクセル。仮に草7つとおかゆ部分で8等分したとしても、32ピクセルずつしか使えないという地獄。実際は余白とかお椀部分があるからもっと少ない。
構想の時点で心が折れかけましたが、幾度も各草の位置や角度、大きさや表現方法の調整を繰り返し、ようやくたどりつきました。
なんかですね、描いてたら色んなことがどうでもよくなってきたんです。俺うめーとか、ゲーム内に採用されるかもとか、優待券もらえるかもとか、もうそういうのじゃなくて、これは、
なななくさがゆとの戦い
だったんですね。
いや、違います。違わないんですけど、きっと戦いの果てに目指していたのは
なななくさがゆとの和解
だったんだと思います。
なななくさがゆという概念、それは完全ななななくさがゆであることは言うまでもないのですが、そこに対して自分がどこまで接近できるのか。
現実のドット絵に落とし込むことでそぎ落とされてしまう部分というのはどうしてもあるわけですよ、七色のおかゆだってそうですし、エリ草の瓶だってそうです。なななくさがゆのイデアに含まれる全てのイメージを取り込むことなんて絶対にできません。
でもそぎ落とすものを極力減らせばいい、できるだけ取り込めばいい、というのも違って、果たしてなななくさがゆの概念の中で最もクリティカルなところ、いわばなななくさがゆの心臓部というのはどこにあるんだろうと、それを探し求めることだったのじゃないかなと、思うわけです。
それは相手の急所めがけて刀を振りかぶる行為に似ているようでいて、愛する人に振り向いてもらうためにどんな言葉をかけたらいいか、思案する行為にも似ている。
だからこそ、これは戦いであり、和解への道筋だったのです。
私になななくさがゆとの和解が成し遂げられたのか、それは分かりません。なななくさがゆは何も言わない。ただそこにある、いえ、きっとどこにもないのでしょう。
それでも、そんな虚像にひとつの姿を与えることだけはできた。
この姿になななくさがゆを感じてくれる人が、一人でもいてくれれば。
充分なのです、それで。
ところで、私はなななくさがゆを作ったことはおろか買ったこともありません。
お後がよろしいようで。
コメント
コメントにはログインが必要です