すあ正ことアレク=スッアー•ニドル の最終手記
*一部、誤字・脱字・文法の誤りの目立つ部分が散見されますが、アレク=スッアー•ニドル氏の手記を原文まま書き写したものになりますので、ご了承ください。
暁、昨日分の勘定を済ませた夜勤後の妖精達が店の扉を弱々しく開ける音が響く。巷ではハタラキカタ妖精改革などと云ふ事業の影響か、早朝の決算を廃止しろと叫ぶ妖精が出始めている。当店は今日も今日とて重労働を強いる。
重労働と雖も以前と比べればまだ良くはなつたとは言える。この店を構えてから既にみとせ、すなわち春夏秋冬春夏秋冬と来て二度目の春を迎えるまでに至った。このまえの夏から秋にかけて、特に“mu無月”の頃は今と比べればヒドいものであつた。
本来ならば皆は此のような得体の知れない不吉な店舗のことなどそれほどには興味など湧いてはいないだろうから其の“mu無月”のことを端的にサツサと語って終わらせればよいところであるが、当店アレクサンド帝国商店の店主である私 すあ正 こと アレク=スッアー・ニドル は開店800日頃を機にmutoys島からしばし海を渡り出稼ぎに出かけるさだめとなり、時たま店には帰るものの次いつこのセクレタリヰに顔を出せるのかもわからぬ。そのため島を出る前のこのせっかくの少々の間、隙の有るいまのうちに自らをつらつら語ろうかとおもふところである。
先ず、当店がこの島に入植した時のことから始めようと思ふ。
あれはまだわたくしの故郷が脚の膝ほどにもなる雪に覆われて、薄鼠色をした雲の隙間から刺す日の明かりが其の雪に反射して目が開けられないほど街がきらきらと輝いていたときであつた。
訳あってセンチメンタリズムな日々を送っていたわたくしの元に旧友が訪れた。当時この島で2円という名で店を構えていた者である。2円とわたくしともう一人ナンパ師という男の3人で肉を食うていた時のこと、2円が言ふ。
「おれがまえからやつていた ものをうるげえむをしようぜ。」
諸君にはこれが何を言っているのかさっぱり理解すらできないと思うので翻訳させていただくと、つまりはmutoys島に入植をして店を興そうということであった。
「おうおう。」
と快諾するとすまあとふおんという海の外の文明の利器(海を渡ってこの島への入植を容易く行う道具である。この島におけるスワンボートのようなものだと思ってくれれば構わない。)を使ってそそくさと入植準備をして、間もなく、店を開いた。
これはかなり後になってわたくしが知ったことなのだが、この2円という店主はなかなかの店主だったそうで、資産では当時このセクレタリヰを開いてくださっている秘書殿の次に島内で持っているGが多く、街ではトパアズ村の盛り上げ隊のような立ち位置で、そのうえ伝説の[すあああま]と[すああああま]の錬成に成功したという業績をあげるほどであったらしい。(すあああまたちについては既に世に広まっている記事がある故、すああま教団;時すでにすあま がまとめた『すああまに関する妙な色をした禁断の書の記述の一部抜粋』をぜひ皆に見ていただきたいところである。)
島の視察後、はじめは街が綺麗で海が見えるから(故郷の家が海に近いというのに影響されていると思ふ)という理由で青街の海沿いに街を構えた。しかし海沿いの店では地図を使って近所を散策してもなかなか資材が見つからず、しかも行商人として生計を立ててゆこうかと思つても新規雇用された妖精たちは他の街から宝の地図を受け取りにゆくのが異常に重労働だつたようでそのことで心を痛めたわたくしは亞蛇街(恐らく字は違つてゐる)なる街に移転をした。
亞蛇街に移転した後のわたくしは伍地図と巷で呼ばれている地図を妖精たちに渡して金銀財宝を探すトレジヤアハンタアとして名を馳せ始めた。中でもエクスカリパアと呼ばれるクズ同然の剣は、エクスカリバアと呼ばれる伝説の聖剣になるという誠しなやかな噂があつた(噂というのも当時エクスカリバアを完成させた店舗はいくつか居たものの島の誰もその使い方が分からず意味の不明な道具であったからである。)ので、五本だか置くだけでも水千杯に相当する倉庫の嵩張りを泣く泣く我慢して集めては売って集めては売ってを繰り返した。ただそれも長くは続かずカリパア探しに飽きたわたくしは、今では知られた仲であるクミチヨウという島一のエクスカリバア職人に八十本程カリパアをまとめて売り払ってしまつた。思えばこの時から今に至る刀剣収集の癖は既にあったのかもしれない。
そろそろ皆もわたくしの業歴など少しばかり聞き飽きた頃だと思うのでせっかくなのでこの頃の2円そして当店と同時開業したナンパ師のことについて書いてゆこうと思ふ。
これもまたかなり後になってわかったことではあるのだが、2円というあの店主、わたくしたちにこの島への入植を勧めた理由が実は「2円カルテル」という2円を最終地点とした最安流通経路を構築したいがためだったという。(勿論、それはわたくしたちへの言い訳のようなものであり、本音はmutoys島が開拓されるよりも前からの友人が近くにいてほしかったという寂し心であるのであるということをわたくしは気づいている。)
「2円カルテル」などというものを聞いても諸君は馴染みも何も聞いたことすらないと考えられる。しかしながら諸君は1日にして2円が当時の価格で推定10,000,000G~30,000,000G近く(スピヰドポヲシヨンが十万Gもしていなかった頃の話である。)儲けたあの日と言われたらなんとなあく頭の片隅にあるのかもしれない。今だからこそ打ち明けてしまうとあれこそが「2円カルテル」による[ミーミーキング及びミミ星人人身売買事件]である。
わたくしが店を興すよりすこしばかり前に島で発見されたらしいミーミーキング、伝説(或いはそれ以上)の畜産家であった2円はその発見の噂を聞きつけ誰よりも早く、その役に立つのかもわからないミーミーキングの探索に出かけたのである。その結果、2円は恐らく当時、島一番のミーミーキング保持者となっていた。
そして遂にミーミーキングが組合を発足させるために役立つということが判明した夜がやってくる。
「プロ(当時のわたくしの店名である)、ナンパ師、市場にあるミミ星人をありったけ買い占めよう。」
2円に言われるがままに昨日まで存在すらも知らなかったミミ星人達を我々は買いに買い占めた。買い占めの後で各ミミ星人の価格が2倍になったことを覚えている。傍、2円は自分の妖精に大量のクスリを飲ませて大量のミーミーキングを探索し手に入れていた。わたくしたちがミミ星人を買い占めているので他の畜産家たちはそもそもキングを探索する術すらも存在しない。そして買い占められたミミ星人はわたくしたちから2円にのみ移る。2円はそのミミ星人をもとに妖精を数匹過労死させる程の(あくまで噂である。)ミーミーキングを探し当てた。2円が破格の市場独占を果たした時であった。そして何十匹ものミーミーキングを高い価格で見送っていった2円は数千万Gの利益を一晩で得たのだった。
話をカリパアを全て売り払った頃のわたくしの話に戻そう。或る日のことだった。2円から急に連絡がきた。
「いま島屈指の土地が柘榴街に空いている!急ぐのだ!此れは一千万級の価値があるのだから!千載一遇のチヤンスである!」
何を言っているのか分からなかったのだが2円に言われるがまま急遽業務中の妖精たちを呼び戻して引っ越しをした。思えば此れが私と柘榴街の予期せぬ邂逅の瞬間なのであつた。
当時の柘榴街は勇者を長とした殺伐とした街であつた。(今となつては到底、考えられないことかもしれないがそうであつた。)
わたくしが入植したときにはすでに伝説となつており、わたくし自身が自分の目で見ていたわけではなかつたのであるが、柘榴街には四天王と呼ばれる勇者たちがいたらしい。
その四人の勇者を頂点として、勇者に必要な武具を梱包する者、その梱包される武具を作る者、その武具の要となる金属を鋳造する者、その原料となる鉱石を採る者、勇者に食事を与える者、その食事の材料を集める者、とこの街は当時勇者を無くしては語れなかったと言える。
(ただし当時の其の労働環境は如何せん重労働だったらしく、この話をしようとすると嫌がる者も多い。)
(また、勇者で成り立っている商人たちの他にも、火山鉱山地帯故の肥沃な大地のおかげか野菜や果実を育てている者たちも多かった。)
しかしながら盛者必衰の理とは言ったもので、その伝説期間も様々な争いことを経て少しずつ少しずつ崩壊していき、わたくしが入植したときは先代師匠以外に化物退治を行っている勇者はいなかった。わたくしが入植する原因となった島屈指の土地というのも、かつて四天王のうちの一人であった勇者が一旦勇者としての看板を下ろし土地を売り払ったために空いた土地であった。
ある意味そのおかげというべきか、入植からひと月ばかりが経ち商売が波に乗って来たのでそろそろ街に挨拶しようと思いたち、島中に向けた柘榴街の商売の祭典に乗じて初めて街の人々に挨拶廻りをしたときには、かつての勇者の街という面影はもうかなり消え失せていて、重労働故の陰鬱とした雰囲気もあまり感じられず、むしろ活気のある商人の街といったところだった。
わたくしはそれからにわとり村長や街の歴史を古くから知るぺん氏、そしてひまねこ氏やざくろ氏、さんご氏やりく氏、まに氏はるにれ氏といった様々な面々に支えられながらしばらくの間は山が近いということで鉱夫をやっていた。(当時のわたくしは旧在住街の鹿氏に次いで利益を上げていた鉱夫であったと自負している。)
そして、ある日のこと柘榴街の火山麓の焦土地帯を主としていた私は、代交代ということを見据えていた先代師匠に弟子入りする形で勇者となつた。
先代は約1年間に渡り不動の島随一の勇者として君臨し続けた伝説中の伝説的な勇者であつた。(これに関しても先に述べた柘榴街を支える機構があったからこそのものであり、先代のみを掲げるのはしのびないためしかと記しておく。)
先代勇者は賛否両論様々あるものの、少なくともわたくしには優しく勇者のいろはをいの字から教えてくださった。先代がいなかったらわたくしが勇者になることは無かったし、柘榴街勇者秘伝の他街の勇者に勝利する書が今に至るまで伝わることは無かったであろうし、現在の柘榴街になるような街改革が行われることは無かったであろうと思ふ。
こうしてわたくしが勇者となったことにより、柘榴街はまた勇者街への道を良くも悪くも歩みだしたのであつた。それから専属の武器梱包人のたき大師匠やみぃふぃあ精肉店の支えも加わり、一歩ずつ勇者への道を歩み始めた。
月日が経ち勇者のわたくしが”孤高”と呼ばれ独り立ちももう間もなくといつたところで先代は島を出る前の最後の仕事を計画した。
それが”柘榴街開発計画”である。
今となっては信じられないことかもしれないが、当時の島といえば大商人街である緑柱街とそれに続く大富豪街である紅玉街の二強となつており、そこに紫水晶街、黄玉街、 亞蛇街、が追従する形となつていた。わたくしの住んでいた柘榴街といえば島の活気でいえばいつも下から数番目。辺境の地や小さな村などはともかくとして、島のなかでも交通の便が良く道は汚いながらそれなりの大地を持つ柘榴街がここまでの酷い有様だったのは柘榴街の治安としか言いようがない。唯一、他の街にも負けない点といえば商人たちの立ち話が盛んだったことである。(こっそり街の者たちの会話を記録している者の話によると、当時の柘榴街は毎晩、紙で換算すると十数項にもなつていたという。)
しかも当時は強い街の商人たちが自分の街の住民に高値で売れるからと、弱小の街の商人による住民のために用意していた品々まで掻っ攫っていく始末。それが更に街単位でのの貧富の差を生むこととなり、なんとも悪循環であった。
そのため先代はこの柘榴街をどうにかもつと活気のある街にせねばならぬと考えた結果、街規模で柘榴街を開拓する計画を建てた。
柘榴街開発計画で大切だったことは6点である
ひとつめ.焦土の火山を鎮めること (賛否両論あるが柘榴街が勇者の街であることに起因する)
ふたつめ.作物が乏しい北東の低木地帯を狭め植林をし、草原を広げること
みっつめ.低木地帯を狭めた分、農家の方々のために地面を確保すること
よっつめ.採取量の安定しない湖地帯を広げ、水の供給を一定水準まで上げること
いつつめ.その他、勇者産業を回していくうえで重要なツンドラ地帯や砂漠地帯を確保すること
むっつめ.中途半端に伸びていた商店街を最終地点まで完結させ、見栄えを良くすること
である。
先代は案を整えたところで島を出るための準備が忙しくなり、わたくしに財産の半分以上を与えた後、隠居をした。
そこからはわたくしやにわとり村長、そしてわたくしの後に続く形で移転をされてきた新柘榴街勇者の仁勇者、を中心とした人々で柘榴街を開拓していくこととなった。
柘榴街に看板を立たせていただいたという大義名分はあるものの、あまり商店街に顔を出さない方々にも強制移転という形で迷惑をかけたし、計画を実行する上で様々な店主の方々に迷惑をかけたのも事実である。また、資金は先代や例のわたくしに土地を譲ってくれた旧四天王、潰氏が大量に寄付をしてくれたというのはあるが、先に述べた柘榴街でわたくしを支えてくれた方々がたくさんたくさんわたくしに資金を預けてくださったおかげで計画を終えることができたのである。いまだに大感謝なのである。
約ふたつきに渡る大開拓事業は無事終えることができ、柘榴街はほぼ現在の形となった。
これと今の柘榴街の商人のかたがたのおかげで先ほど述べた島の順位は二転三転し、遂には柘榴街が今では緑柱街そして紫水晶街に続く島内三番目に活気のある島となった。当時の我々が聞いたら絶対に信じないであろうと思ふ。
このように数字として結果が出ているから良いものの、いまだにわたくしの中ではあそこまで柘榴街の見た目を変えてしまって良かったのだろうかなどと多少の後悔があるのは事実である。
この事業を終えてわたくしはほぼ隠居生活へと入って行った。
それまでの間に起こったことといえば、開拓投票による第二の柘榴街阻止計画、先代の引退、わたくしの月間挑戦計画の寝落ちによる二位陥落終了などであろうか。
その後の私は活動拠点を”偶数会”という指定偶数団に移し、偶数島と柘榴街を行き来しながら、すああまと村正の良さを伝え日々を過ごしていた。
ちなみに、勇者としてのわたくしは開拓事業が終わった時点で資金が尽きかけていたところに図鑑登録での失敗が重なり、完全に資金難に陥りしばらくは重い作業を止めようというところから勇者業に終止符を打ち、後々たたら勇者へと柘榴街勇者の伝承を伝えるまでの間はもう勇者のことなど忘れていた。(ちょうどその頃に島全土における薬不足などが併発していたのも原因のひとつである。)
これにてわたくしアレク=スッアー・二ドルの島に於ける話は閉幕である。
わたくしも古き友2円を探しにもう間もなく島を出ねばならぬ。
Mutoys島での出会いを感謝して、アレク=スッアー・二ドルの手記を終える。
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