どうも麦茶屋です。お疲れ様です。
私は現在孤高の行商人ですが、作家と錬金術師がそれぞれ筆頭です。
今回は、なぜそうなったのかをお話したいと思います。
作家
近地図山地図で2枠ごりごり地図を書いていた私ですが、1枠を作家作業に当てようと考えました。
紙とペンが流用出来るからです。シンプルですね。
当時は申請書の強さに気付かず、薬本を中心に書いていたと思います。
自作の山地図を使って草をむしり、薬本の材料にしていました。
山地図全然減らねーじゃんこんなの原価に全然影響しないじゃんか!と憤慨しながら草をむしっていたことを覚えています。
※7月末当時はよく山地図が高すぎると議論されていました。
(今にして思えばどんな立地でもみんな山地図を使って素材収集していたんでしょうね。)
薬本と山地図を500g,近地図を150gあたりで売っていたように記憶しています。とにかく本カテゴリしか売りたくないと考えていました。
本屋が近くにいたため、相手の棚を見ながら皮本と薬本を交互に置いていました。
奇妙な記憶ですが、当時皮本と薬本に売れ方の差を感じることはありませんでした。
はじめての課金
本はなかなかの利益を(地図比)もたらしてくれ、私は7/25にアトリエに改装することが出来ました。
この時、各レベルが5になったばかりの私は販売棚が3→4→3と変動するのを見て、「なんだかもったいないな」と感じてしまいました。
これはいけません。給料日に課金、これは相性が良すぎる。
7月限定の韋駄天ポーション10個つき優待券をつい、買ってしまいました。
なんということでしょう、
失われた販売棚はすぐさま4に戻り、アトリエで5に増えた作業枠は6にまで拡大しました。ゲーム開始時の3枠100%と比較して作業効率は2倍以上になりました。
ひとしきりの恩恵を享受し7月の月間本屋ランキング50位を達成した私は、更なる副業をと考えました。
勇者サポートのサポート
当時トパ街には勇者サポートを目標とする鍛冶職人が街板によく出入りしていたため、しぜん梱包屋が足りないという話をよく目にするようになっていました。
第3のビジネスを考えいた私は当時道具屋レベルが3で、梱包やります!と名乗りでるべきか日々悩んでいました。
「なんだか、本屋として金物には関わりたくない」
という謎の拘りがあったために結局梱包屋になることは断念したのですが、
「勇者支援には何らかの形で加わりたい(街の活動を支援したい)」
という思いが残りました。
また、鍛冶職人が言いました。
「杖屋をここに誘致しよう。梱包には、杖屋が必要なんだ」
杖屋!細工師!……金属!
杖屋も厳しいかと思ったその時、突如アイデアが浮かびました。
「魔法の知識→杖本なら一切金属に触れないぞ!しかもアトリエっぽい!」
既に(若手行商人)期待の作家になっていた私は、「杖本屋になって街に貢献しよう!杖本のコストを極限まで下げるんだ!」と考えました。
今にして思えば壮大に無謀な計画でしたが、杖屋支援は今でも私のプレイ方針の大きなコアを占めている考えの一つです。
ほどなくしてなくして鍛冶職人が言いました
「さっそくスカウトしてきた!杖屋が来たぞ!」
迷っている時間はありません。杖本製作のための調査を開始しました。
まほちきの壁
今でこそ魔法の知識は5000g台で買える商品ですが、当時の魔法の知識は市場にないことも多く、しばしば8000~10000g台で置いてある商品でした。
私は思いました。
「おかしい。この値段では杖屋を始めるユーザが少なくなるじゃないか。」
所持金が乏しかったこともあり、錬金術を鍛えてまほちきを自作することを思い付きました。
当時の魔石は400~600gの間をふらふらしていました。供給が少なかったため市場は常に不安定だったように思います。
私は注文で底値に発注を出すことにより、容易に400gで魔石を得ることが出来ました。
木こりセール、そして、錬金術
錬金術レベリングには勝算がありました。
「セールで買った草でエリ草まで駆け抜ければいい」
当時、木曜朝に薬草他をセールしてくれる木こり様がいたため、私は木こりを廃業して各種素材を購入していました。
それで得た草でレベリングをすれば低予算で実施出来ると考えていました。
当時は草を再利用することでより高効率!勝つる!と意気込んでいたものですが、果たしてどうだったのでしょうか。
ハイポーション棚置きあたりの方が効率がよかったのではないかと反省しています。
ともかく、私は8月上旬に期待の錬金術師になっていました。
次回、「まほちき」に続く
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