一見、愛されるだけに思える彼らにも、愛することはあるのだろうか。あるのなら、その愛するものとは一体何なのだろうか。
前回記事
http://secretary.tokyo/articles/31d4958de8fb208
先日、ついににゃんこが実装され、にわかに盛り上がりを見せていますね。
わんこに続く第二の愛玩動物として、今回は錬金術師の皆様方が精神(と資産)を削って召喚しようとやっきになっているところかと思います。
召喚されたにゃんこたちは、MUTOYS島の住民たちに癒やしを与え、末永く愛されていくのでしょう。
ところで、愛されている動物といえば、以前より一部から熱狂的な支持を集めるかいこもいますね。オカイコサマー!
わんこ、にゃんこ、かいこ、こうして並べてみると、ふとあることに気づいたのです。
みな、最後に「こ」がついているということに。
なんということでしょう。名前の最後の「こ」、それこそが愛され、注目され、崇拝される生き物の象徴だったのです。
ああ、MUTOYS島の謎はまだまだ深い・・・どこまでも深い・・・
ここまでは、他に気づいた方もいらっしゃるかもしれません。
だがしかし、私はまたしてもさらなる深淵を知ってしまったのです。
そう、たいこも、名前の最後が「こ」であるということに。
つまりは、太鼓もまた、人々から崇拝をうけるにたる生命あるものであったのです。
内なる生命を秘めた太鼓、崇拝されるべきその本質、太鼓のように丸い神と呼ばれる存在。
それは、我々が知ってもよいことだったのでしょうか?それとも、人には過ぎた奇跡なのでしょうか?
私には、まだわかりません。そして、きっと、わかってしまったときには、もはやここには存在しないのでしょう・・・
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