はじめに
最近ルビーの道が全て消滅し、再開発の機運が高まっていますが、街で道バリアが多く作られていった経緯について少しまとめてみました。
注1)何名かのお名前が出てきますが、彼らを非難する記事でないことはご了解下さい。
注2)かつて私の目標はルビー街人口増加でした。その主観が入った記事をお許し下さい。
初期
太古、ルビーには湿地帯を囲む道、森を通る細い道があり、商店たちはその細い道を囲むように自然と集まっていった。
道の効果はよく分かっていなかったが、住民売りに有利だとされていたので、6方向全てが道に面した場所は貴重だった。土地開発費用の100万Gは当時としては大変高価であったため、いくつかの土地開発をしなければ手に入らなかったこの立地条件は富の象徴、憧れだった。いつしか、6方向を道に面した立地条件はその見た目から道バリアと呼ばれるようになった。
ルビーは人口第2位で、1位を走るエメラルドとの人口差は数百、千程度だった。効率化すれば追いつけるのでは?と思わせられた。道バリアはその効率化の試みの一つでもあった。
中期1
みんなが少しずつお金を持ち始めて土地の開発が始まった。特に目覚ましい開発が起こったのは中央部だった。中央湿地帯を囲むような道と、南東を通る道が繋がった際は興奮したものだ。最後にきちんと道が繋がった際に形成されたのはコナニス氏の2重道バリアだったと思う。
富の象徴たる道バリア、しかもそれが2重なのだ。道バリアは当時のルビーの憧れとなり、開発競争は加速していった。
中期2
商店たちは富の象徴たる道バリアをこぞって作り、さながら蜂の巣のように商店街が形成されていった。
道の効果がある程度分かってきて、道バリアの効果が疑問視されだしたが、効果を否定出来るだけの根拠も無かったので道バリア商店街は更に増えていった。
いくつかの地域では道バリアでありながらほとんど住民売りが出来ない地域が出来上がっていた。膨れ上がった広い道バリア群の周囲に空き地が目立ち始めていた。
ルビー左下画面端のほとんどが道で埋まった際、ほとんど住民売りが期待できなかったケースが報告されている。
後期1
道バリアでの効率化ではエメラルドの人口増加率に追いつくことは出来ないと考えたものたちが、街の道路整備と商店街形成による合理化をはかろうとしたが、当時、道の正確な効果や商店街形成効果等の根拠を示すことはやはり出来なかった。(それは今も出来ずにいる?)結果として人口を見れば、道バリアを多く設置したルビーがエメラルドに倍以上の差をつけられてしまった。道バリアによる効率化は店主たちが思った程ではなかったのかもしれない。
この頃私は海の上でバカンスを楽しもうと、南東の海のど真ん中を通るような開発を行ったが、今では僅かに2マス程の砂浜が残っているだけだ。
ここから先は移住してしまったのであまり分からないが、道を整地して効率化したい者、既得権を守りたい者でいくつかの塗り合いがあったようだ。コナニス氏の2重道バリアは大変目立ち、何度かバリアを壊されては復帰していた。
後期2
セリマ氏がルビーの道を削り始めた。これまでの道争いと違う点は、コナニス氏周辺の大きな道から消さず、細かい道から消していった所、川で分断した所等があったようだ。氏の開発力は大変強く、ルビーの道は全て消滅した。
終わりに
ルビーの道は一度無くなった。しかし、悪いことばかりでは無いはずだ。
土地の整備、商店街の形成等うまくいけば大きな成長を遂げるだろう。
都市の再生モデルケースとなれるのか、その動きが注目されている。
大変急いだため画像の無い記事ですみません。
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